高麗博物館
日本と朝鮮、善隣友好の歴史を学ぶ
豊臣秀吉の朝鮮出兵により悪化した日本と朝鮮の関係を修復するため、徳川幕府は対馬の宗氏を通じて国交を回復し、慶長12年(1607)から文化8年(1811)まで12回にわたって朝鮮の外交使節団(朝鮮通信使)を迎えています。毎回約300~500人に及ぶ通信使の一行は、釜山から対馬へ渡り、下関を経由して瀬戸内海を航行し、大阪湾から淀川を遡って京都に入りました。そして琵琶湖東岸を北上し、東海道で江戸へ向かって将軍に謁見するのが慣例でした。滋賀県各地には今も、通信使が通った「朝鮮人街道」や宿泊・休憩所として使用された寺院、豪商の家などが残っておりその歴史を今に伝えています。現在の滋賀県長浜市出身の儒学者・雨森芳洲は、対馬藩に仕え、朝鮮語・中国語を習得。通信使に二度随行して朝鮮との交友に尽力しました。享保13年(1728)に著わした『交隣提醒』の中で芳洲は、真心と信義の交わりこそが外交の基本であると説いています。
新宿区にある「高麗博物館」では、古代から近現代に至る日本と韓国・朝鮮の歴史を解説しています。展示を見れば、朝鮮出兵や植民地支配など不幸な歴史がある一方で、古代や江戸時代のように豊かな交流の歴史もあったことがわかるでしょう。博物館は市民のボランティアによって運営されており、企画展や講座の開催、フィールドワークや研究会など活発な活動が行われています。
- お問合せ
- 高麗博物館
- 住所
- 東京都新宿区大久保1-12-1 第二韓国広場ビル7階
- 電話番号
- 03-5272-3510
- 営業時間
- 12:00~17:00
- 定休日
- 月曜・火曜、年末年始、臨時休館
- 公式サイト
- https://kouraihakubutsukan.org/
最終更新日:2022年03月31日 ※最新情報は店舗までお問い合わせください。